こんにちは!相変わらずチェンソーマンにハマっているまるです^^
私がチェンソーマンを読みながら考えていたこと、、、
それは、
「デンジくんの欲求の移り変わりようがマズローすぎる」
と、言うのも「マズローの欲求5段階説」
物語はまさにこれに沿ってデンジの心情、追い求めるものが変わっていくんですよね。
藤本タツキ(作者)さん、絶対これ意識してますよね(笑)
今回はそのデンジの心情変化を、きちんと文章にして自分の中で整理・分析してみたいと思い、記事にしました。
マズローの欲求5段階説とは
そもそもマズローの欲求5段階説ってなに?って方のために、簡単に説明します。
心理学者のアブラハム・マズローは人間の欲求を5段階に分けて考えました。その5つが、「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」です。
生理的欲求は食欲、睡眠欲、排泄欲など、安全欲求は安心・安全な暮らしへの欲求、社会的欲求とは家族や友人など、他者と関係を築き、集団への所属や愛情を求める欲求、承認欲求は他人から認められたい、評価されたいという欲求、自己実現欲求は自分が満足できる理想的な自己像に近づきたい、自分らしくいたいという欲求です。
この5つの欲求は下のピラミットのように、生理的欲求を一番下層として安全欲求→社会的欲求→承認欲求の順に階が上がっていきます。そして自己実現欲求が頂点になっています。
つまり、下の層の欲求ほど生存のために優先されるべき基本的かつ本能的で低次元の欲求であり、上の層に上がるにつれて高次な欲求になっていきます。
マズローは、人間は1つの欲求が満たされると、それを前提としてその次(一個上の階)の欲求持つようになると考えました。
例えば、生理的欲求が満たされれば次は安全欲求を持つようになり、安全欲求が満たされない限りは社会的欲求を持つことはないというわけです。
生理的欲求と安全欲求の下層2つは物質的欲求であるのに対し、社会的欲求以上は精神的欲求とと分けることができます。また、下から社会的欲求までは外的欲求であるのに対し、承認欲求以上は内的欲求です。さらに、下から承認欲求までは欠乏欲求であるのに対し、自己実現欲求は成長欲求であるといえます。
つまり、人間の欲求と言うのは、「物」や「こと」を手に入れたいという欲求から精神的な心地良さへの欲求へ、自分の身の回りの環境に満足したいという欲求から自分の内面に満足したいという欲求へ、何か欠乏しているものを捕捉したいという欲求からプラスアルファで高めたいという欲求へ、ベクトルが変わっていくということです。
デンジの夢の変化
では、マズローの欲求5段階説を理解したところで、それを踏まえてデンジの心情変化を見ていきましょう。
生理的欲求
まず登場したてのデンジ。
彼は極貧で毎日食べるものもないような生活で、食パンにジャムを塗って食べるのが夢だって言ってましたよね。食欲を満たしたいという欲求。つまりこの時のデンジは5段階欲求のうち1番下のステージ「生理的欲求」を持っている状態にあります。
その後、公安で働き出したデンジ。これにより衣食住を手に入れ、「生理的欲求」が満たされました。なので次の欲求ステージ「安全欲求」に進みます。
安全欲求
デンジはヤクザから解放され、公安で働き続けられさえすれば今の生活が保証されるという安心を手に入れました。
そしてありがたいことにデンジはマキマさんに認められている、仕事が評価されているという物事が良い方向に向かっている自覚をし、これにより安全欲求が満たされたと私は解釈しています。
そして次のステージ社会的欲求に進みます。
社会的欲求
デンジはパワーとアキという仲間を手に入れました。
早いですが、これにてデンジの社会的欲求は満たされました。(笑)
余談ですが、パワーとアキの他にも、沢山の仲間にデンジは囲まれていますよね。いつの間にか。
承認欲求
次のステージは「承認欲求」
少し話が飛びますが、第2部のデンジ(更新時:第110話時点)がまさに承認欲求の塊だと思います。
デンジくん、モテたいモテたいで頭がいっぱい。
自分がチェンソーマンだってバレたい。だってバレたらきっとすげーモテちゃうから!
デンジ突然どうしたんだと思った人もいるかもしれませんが、これは人間の欲望としてある意味自然な流れです。
1部でもチェンソーマンがテレビで放送されるほどの大人気ぶり(マキマの目論見により)だったので、この時点でデンジの承認欲求が満たされ、「10人くらい彼女が欲しい、たくさんセックスしたい、だからチェンソーマンになりたい」という流れが自己実現欲求の現れだと考える人もいるようです。
どちらが正解などはありませんが、個人的にはこれは違うかなと思っていて、、、というのも、1部でもてはやされているのはデンジ自身ではなく「チェンソーマン」です。マキマがずっと見ていたのもデンジではなく「チェンソーマン」。なので、デンジの承認欲求は満たされていない。そして、チェンソーマンは自分であるという正体をばらすことで、今度はチェンソーマンではなく自分が人気になりたいと考えているのが2部のデンジですから、これが承認欲求ではないかなと考えました。
デンジの今後〜自己実現欲求〜
現在承認欲求を満たすべく奮闘中のデンジですが、もしこのあと正体がバレてモテモテになったり、彼女が出来たりしたら、承認欲求が満たされて次は自己実現欲求を持つでしょうね。
デンジくん、どんな自分を求めるのでしょうか?
ちなみにですが、自己実現の先には自己超越と呼ばれる、5段階説に後から付け加えられた6段階目の欲求があります。これは社会貢献など、見返りを求めない、自分のエゴを超えた理念の実現追求ですが、チェンソーマンでここまで描かれるかは不明です。
まとめ
こうして見ると、チェンソーマンは、デンジが人として最低レベルの夢から、どんどん追い求めるもののレベルを上げていき、最高レベルの夢を持つまでの物語でもありますね。
果たして、最後の夢は実現できるのでしょうか?
デンジがテレビでもてはやされているチェンソーマンを見るシーンで、「本当はおれ、もう朝にジャムを塗ったパンとか飽きてて、本当は毎朝、ステーキとか食べたい」っていう発言がありますよね。
デンジくん、パンにジャムを塗って食べられればそれで幸せだと思っていたけれど、案外、幸せにはなれないことに気づきます。そもそも、「普通」=「幸せ」じゃなかった。
人間は決して幸せになることはない。なぜなら、一つの欲幸せを手に入れたら、さらに高次の欲望を抱いてしまうから。
的な。↑これ、誰でしたっけ?誰か有名な哲学者の言葉で、すごく好きなんですが、誰だったか忘れてしまいどうしても思い出せません。どなたか知っている方がいれば教えてください。
あなたは、どの欲求ステージにいますか??
私は自己実現と承認欲求の間を行ったり来たりしているのかな。
色々大変なことがあるけれど、こうして客観的に見ると人生としては結構達成されているんだなあと思いました。(笑)
けど高次の欲求レベルにいるのが幸せなのかと言われると、どうなのでしょう。
「昔は生きることだけを考えていればよかったけど、今はたくさん考えることがあって疲れる」というデンジのセリフ。切ないです。( ; ; )
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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アニメチェンソーマンはアマゾンプライムビデオで視聴可能です。
チェンソーマン第一巻
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