「君たちはどう生きるか」をどう受け取るか/あらすじ・ネタバレレビュ~2回鑑賞済~

映画レビュー

こんにちは、まるです。

今話題のスタジオジブリ映画、君たちはどう生きるか

予告編などの広告は一切出さず、公開当初は声優まで非公開で、メインビジュアルポスター一本での勝負でしたが、、、さすがはスタジオジブリ。

前情報が一切ないにも関わらず、これまで数々の名作を生み出してきたスタジオジブリに対する日本国民の信頼と期待は高く、動員数もかなりのものだと思います。

見たらわかる、こりゃ予告編作れないわ、、。

そして見てきた人の感想は、良かった!という声から意味が不明だった、理解できないなどの声まで様々。人によっては当たり外れが大きい映画だと感じます。

結論から言うと、私にはめちゃくちゃ刺さった!

個人的にはスタジオジブリ作品の中で、1位2位を争うほど大好きな作品となりました。(ちなみにこれまでの1位は千と千尋の神隠し)

好きすぎて、2回見に行ったほど。

そんな「君たちはどう生きるか」が刺さった人間による、あらずじ、ネタバレ、そして自分なりの考察と感想を書いていきたいと思います。

あらすじ

まずは簡単なあらすじから。

ボンボンお坊ちゃんな主人公

作画はザ・ジブリ!って感じの作画です。コクリコ坂とか風立ちぬあたりが一番近いかなあ。

舞台は戦争が始まったばかりの日本で、主人公は小学校高学年あたり(すみません、詳しくは忘れました(~_~;))の少年眞人です。

導入は、眞人のお母さんが入院している病院が火事になるシーンから始まります。

結局その火事で母は死んでしまい、その2年後(多分)父は母の妹の夏子と再婚することになり(え!?)、眞人は父とともに夏子が住んでいる疎開先の田舎に引っ越します。

その疎開先に移動していまーすっていうシーンで、山の風景をバックに、「君たちをどう生きるか」のテーマ曲「疎開」のピアノイントロがジャーンと流れると共にタイトルをドーーン。

ジブリのタイトルの出し方ってなんでこんなに毎回秀逸なんですか。。。?(・∀・)??

そして疎開先のお屋敷がまあ豪華なわけですが。

眞人の父は戦争に使われる飛行機などの軍事品の部品を作る工場の社長で、戦争によって父の工場は順調そのもの、眞人はいわゆるボンボンです。

「新しいお母さん」を受け入れられない眞人

眞人は母の死から数年経っただけで父は新しい人と再婚したことが受け入れられず、父の再婚相手である夏子はもちろんのこと、夏子のお腹の子に対しても生理的に拒絶するような反応を見せます。

転校先でいじめられ自傷する眞人

疎開先の学校への転校初日、眞人は父にその時代の高級車に乗せられて登校します。父なりには、こんな車で乗り付けたらみんなびっくりして転校生で眞人に一目おくだろうという考えだったようですが、、

もちろんこれは裏目に出て、他の生徒たちがお坊ちゃん眞人をよく思うはずもなく

学校からの帰り道、眞人は他の生徒に喧嘩をけしかけられ、殴り合いりなり服がどろんこになります。

その後の帰路で、眞人は自分で自分の頭に石を思いきり打ちつけます。

血だらけで帰宅した眞人に驚く夏子と屋敷のお婆さんたち。

父も大慌てで帰宅してきて、誰にやられた、明日からは学校に行かなくてもいいからな、学校に300円寄付してきたからな、先生たちはびっくり仰天だったぞなどと言います。父なりに眞人に深い愛情を持っていることがわかります。

ちなみに誰にやられた?などの問いかけに対して、眞人は事が進むままに、という感じで沈黙を貫きます。

不気味なアオサギと謎の塔

お屋敷に到着してからキーパーソンとなるのが、アオサギ。

このアオサギは登場シーンからどこか異様で、鳥は歯がないはずなのにこのアオサギには人間のような歯を持ち、ギイギイ声で喋り、眞人の潜在意識に入り込んでまで来て、どう考えたってフツウじゃない。

そしてもう一つの謎が、お屋敷の近くにある塔。

この塔の中にアオサギが入っていくところを見た眞人は、アオサギを追って塔の中へ入ろうとしますが、眞人を探しにきた夏子とお婆さんたちによって連れ戻されます。

夏子の説明によると、あの塔は大叔父様が昔建てたもので、本を読みすぎておかしくなった大叔父様はある日忽然と消えてしまった。あの塔は怖いので近づいてはいけない、といったものでした。

夏子からあの塔に近づくなと言われたものの、眞人の塔への関心は薄れるわけもなく、、さらにアオサギからの執拗な嫌がらせも続いて眞人はイライラが募ります。

眞人が不気味なアオサギを倒そうと弓矢を作っている中、夏子は不思議な塔の中へ連れ込まれてしまいます。

眞人は夏子を追いかけて、これがアオサギの罠だと内心気づきつつも、塔の中へ入って行きます。

夏子さんはどこだと眞人がアオサギに問いつめているところに、大叔父が登場し、アオサギにお前が案内人になれと言います。アオサギがこれを渋々承知したと思ったら、眞人の足元が歪み、どんどん下に落ちて行きました。

落ちた先はもう一つの世界で、海と草はらが広がっていました。

ネタバレ

ここから先、いきなりネタバレです。

色々と省略していてざっとになりますがご了承ください(:3[___]

塔の正体と眞人が呼ばれた目的

お屋敷の近くにあった塔は、ある時宇宙から降ってきた大きな石を覆い囲むようにして建てられたもので、この世の汚さに嫌気がさした大叔父はこの不思議な力を持った石と契約することで下の世界(いわゆる地獄とも言えますが、ワラワラという人が生まれ直す前の状態がいる世界なので、胎界ともいえます。)を作り上げ、そこの世界の支配人となってこの世から姿を消したのでした。

ちなみに下の世界に対して、この世は上の世界と呼べます。

大叔父はもう歳で、震える手でなんとかギリギリで下の世界の平穏を保っているような状態で、後継人を探していました。

後継人の条件は、大叔父の血を引くもので、悪意がない善良な人間。

アオサギは大叔父が作った下の世界への案内人で、眞人を後継人にしたい大叔父の意向により、夏子をダシに、眞人は胎界へ呼び込まれたのでした。

そして夏子は胎界で出産することになっていました。(作中ではいわゆる里帰り出産のような感覚で扱われている。)

眞人は下の世界でキリコという男勝りの女性に助けられ、アオサギと合流して夏子を探す旅に出ます。

さらに旅の途中で、ヒミと名乗る、火を操る女の子に出逢います。

悪役のインコ(食料不足の世界のようで、すぐに眞人たちを食べようとする)がはびこる中、最終的に夏子のところへたどり着くことができたものの、「石」に歓迎されず、ヒミと共に石の攻撃を受け失敗し、失神。

インコに拘束された眞人はアオサギに助け出されます。ヒミはインコの大王に拘束されており、インコ大王は大叔父にヒミを献上して契約に利用しようと、大叔父のところへ出向きます。その跡を追う眞人とアオサギ。

実際会ってみた大叔父はとてもいいおじいさんといった印象です。

大叔父は眞人に石の積み石を積んで欲しい(つまり自分の後を継いで欲しい)と言います。

眞人は善良な悪意のない石を、今にも崩れそうな積み石の塔に足すことができる。そうするで、ぐらついているこの世界が安定するのだと。

自分と向き合う眞人、僕は元の世界を選ぶ

それに対し、眞人は自分の頭の傷を指差します。

「これは僕が自分でつけました。僕の悪意の印です。」

下の世界が純粋で良き世界で、上の世界(元の世界)は汚く悪意に溢れた世界だと考える大叔父。彼に対し、眞人は言います。

「友達を見つけます。ヒミやアオサギのような。」

大崩壊、そして帰還

その時、後に隠れていたインコ大王は、こんなポッと出の少年に下の世界の運命が委ねられることに憤慨し、汗だらけで私たちからしたらあり得ないほどアホで不安定な積み上げ方で積み石を積み上げ、さらにはグラグラとバランスを保てず崩壊寸前の積み石を見ていられず、自分の刀で真っ二つに切り裂いてしまいます。

その瞬間、石と大叔父の契約が終了しました。

頭上に浮かんでいた大元の大きな石は爆発し、海が、星が二つ割れはじめ。

どんどん下の世界が崩れ、崩壊していきます。

急いで戻らないと、元の世界に戻れなくなる。

眞人、アオサギ、ヒミは一緒に、元の世界と次元をつなぐ扉のところへ急ぎます。

眞人とヒミはやってきた時の元の世界の時間が違うから、帰りの扉も違う扉で、隣同士の扉でした。(扉は廊下にズラーっと何個もあって、それぞれが違う時間の元の世界に繋がっています。扉の先は、あの塔に繋がっています。)

だから、眞人とヒミは扉の前でお別れ。

旅のどこかでお互いが親子だと気づいていた眞人とヒミ。

母が火事で死んでしまったことを思い出した眞人は、ヒミに戻ったら火事で死んでしまうと伝えます。

ヒミは少しも気に留めない様子で言います。

「素敵じゃないか、眞人を生めるなんて」

眞人が「ヒミは死んじゃだめだ!」と言うと、ヒミは「お前、いいやつだな」と眞人に抱きつきました。

二人はドアノブに手をかけ、扉を開きます。

眞人にはアオサギと夏子さんが、ヒミにはキリコが続きます。

二人はドアノブを握ったまま、お互い顔を合わせ、にこりと笑い合ったあと、それぞれの扉の先へ進んでいきました。

アオサギとの別れ

元の世界に戻ってきた眞人。

あの扉から、ブワーっと、インコやペリカンも一緒に大量に逃げてきました。

あたりがペリカンやらインコやらに溢れてカオスな状況の中で、眞人と同時に行方不明になっていた夏子とお婆さんまで一緒にいることを発見した父は大喜び。

下の世界から積み石を持って来てしまった眞人に呆れるアオサギ。

「これだから素人は、、まあ大した力もないし、すぐに忘れちまうだろうよ。まあ、忘れてもいいさ」

そして、「あばよ、友達」と言い残し、アオサギは眞人の記憶から完全に去っていきました。

数年後…

弟が生まれ、4人家族となった眞人。夏子と父と弟が、玄関で待っています。

おーい、いくぞーと玄関から呼ぶ父の声に、2階にいる眞人が「はーい」と返事しました。

感想と考察

まず、軽い感想としては絵が綺麗!綺麗すぎる。

構図に拘っているのがひしひし伝わってくる。

一つ一つのカットの絵の綺麗さと印象深さは、まさに宮崎駿の集大成といった感じでした。

建物と木の間から太陽が顔をのぞかせ、そこから日が差している様子が繊細に描かれていた画が個人的には一番綺麗だと思いました。あと、金色の門も迫力がありました。

今回他のジブリ作品と違うなと感じたのは、迫力がありすぎてか不気味なカットがいくつかあったところでした。

まずは火事の描写。

走る主人公を歪めて描いて躍動感を出していたところは緊張感がありましたし、いきなり火がゴオーっと画面いっぱいに迫ってくる描写には少しびっくりしました。

また、屋敷のおばあさんが塔にまつわる昔話をするシーンでは、お婆さんの話し方をとても熱がこもったしゃべりにし、口元のアップから唾が飛び散るといった描写も、、

そして、アオサギも正体が分からないうちは実に不気味に描かれていたなあと思います。目のドアップから目がギロって動いたり、、目の周りの粘膜のイボイボまで細かく再現してるもんだから、そりゃ気持ち悪いわとなります。

そして音楽も素晴らしい。

タイトルと一緒にジャーンと流れる「Ask me why(疎開)」と言うテーマ曲と、ラスト大叔父が作り上げた下の世界が崩壊していくシーンで流れる「大崩壊」と言う曲は本当に静かなのに迫力のある音楽で、印象深いシーンに作りあげていました。

個人的に刺さったシーン

正直、この作品のストーリーを簡素化すると、

  1. あの塔はなんだ、、、?アオサギは何者?(若干つまらない)
  2. 夏子さんを取り戻せ!(つまらない)
  3. 夏子さんを取り戻せ!と大叔父様からの後継人オファーが平行(つまらない)
  4. 大叔父の世界崩壊!この世へ帰還(最高すぎる大号泣)

となります。

ほとんどつまらないんかーい!^^;

1~3までは主人公が目的を持ってダラダラストーリーが進行していく感じなので、この作品ファンである私でさえ正直つまらないんです。

けどそれを持ってしても最高の映画だと言えるくらい、ラストシーンが綺麗すぎました。

特にヒミがやばい。

私がこの作品の中で一番好きなキャラクターはと言われたら、ヒミ一択です。

眞人のお母さんも若い頃に下の世界に来ていて、それがヒミだったというオチな訳ですが。(ヒミが夏子を妹と呼んでいたり、ヒミのパンを食べた眞人が「お母さんが焼いたパンみたいだ」と言ったり、所々匂わせがあります)

眞人とヒミのお別れのシーンがとにかく良いんです。

「素敵じゃないか、眞人を生めるなんて」

だなんて(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)

「ヒミは死んじゃだめだ!」と言う眞人に対し、「お前、いいやつだな」と抱きつくヒミ。

ここに、ヒミの「生きる意味」が詰まっていると思います。

「君たちはどう生きるか」と言う映画の文字通りそのままのテーマの観点からすると、ヒミは寿命が短く悲惨な最期だとしても、それまでの人生が充実していればそれでいいという充実度重視の価値観を持った人であったと考えられます。

お屋敷のお婆さんが父に語った話で、眞人の母が昔行方不明になった時に、1年きっかり経った頃に突然戻ってきて、何にも覚えていなかったけどすごく笑顔だったと話していました。それがこのラストシーンで、ああ、そういうことだったのか、となるわけです。

戻って来た眞人の母(ヒミ)はもう下の世界で眞人に会っていた記憶はなくて、でもこれから眞人を生むんだという幸せで楽しみな気持ちだけは残って、それであんなに笑顔だったんですね。ヒミにとって眞人を生む、つまりこれから先眞人に出会えるというのは、それほど価値があるものだった。それがわかった瞬間、ほんとに沁みました( ; ; )

そして元の世界へ戻る扉を出る直前、二人は体が扉に入りかけて上半身をそらす形で、顔を見合わせます。この時の表情が、二人ともとても晴れやかなのが印象的でした。

このシーンは二人の別れでもあり、同時に今後の人生で必ず出会うのだから、出会いへの一歩でもあるのです。

「君たちはどう生きるか」はこうみるべき!

眞人の成長物語

この映画はいろんな見方ができますが、「眞人の成長物語」として受け取るのが一番無難で分かりやすいかと思います。ちょうど千と千尋のような。

自分の恵まれた環境への自覚

戦争が進めば進むほど父の会社が潤い、あの戦争でひもじい思いをした子供がたくさんいた中、眞人はお屋敷で出された白米と味噌汁、漬物の昼食を食べ、「まずい」との感想を口にします。

眞人はあの時代でとても恵まれた環境にいたにもかかわらず、それを自覚していませんでした。

それが、下の世界で魚を捌き、命をいただく大変さを体験し、ペリカンに食われるワラワラを見て、またそのペリカンにも辛い背景があることを知り、それまで自分の当たり前だったことが当たり前などではないことを知ります。

胎界から戻ってきた眞人が、ペリカンも一緒にやってきたのを見て、「よかった、、」と他者を思いやる姿も見られます。

自分の中にある悪意の自覚

また、眞人が大叔父の前で自分は悪意がある人間だと断言するシーンも印象的です。

それまでの眞人は頭の傷について、他の生徒にやられたのだろうと推測する父親に対しても何も言わず、下の世界のキリコに聞かれた時も、「絆創膏が剥がれた」と誤魔化していました。

眞人が自分の頭を傷つけた理由としてはさまざまな考察がありますが、眞人が何も言わなければ親は自然と誰かにやられたと考えるし、自分が直接的な手を下さずにいじめてきた生徒の罪を大きくしてやろう、あわよくば学校も行かなくて済むようになるだろう的な魂胆だと私は受け取りました。

下の世界での経験が眞人に自分と向き合わせ、見つめ直させたのでしょう。

夏子との対峙

夏子との関わり方にも、眞人の成長が見られます。

積極的に眞人に歩み寄る夏子に対し、なかなか夏子を受け入れられず、夏子に触られたら生理的嫌悪でゾワゾワしちゃうような眞人でした。決してお母さんとは呼ばず頑なに夏子おばさんと呼び、キリコにも夏子のことは「お父さんの好きな人」だと自分からしたら他人のように説明していました。

実は夏子も心の底では眞人を邪魔に思っていたんですね。

眞人が下の世界で夏子の産屋に入った時、夏子は眞人に向かって「お前なんていらない」と初めて本音をぶつけます。

この時、夏子に初めて本音でぶつかられたことが、その内容は厳しいものであったにも関わらず眞人の心を開いたのです。

これを夏子に言われた直後から、眞人は夏子のことを「お母さん」と呼び始めます。

産屋に入った眞人に対し石がざわめき、夏子の上を回ってした人型の紙が、向かい風となって眞人を後退させようとするシーンは、逆境に立ち向かう主人公そのもので迫力がありました。

一度あったことは、忘れない

下の世界であったことはみんな忘れてしまうのですが、、、

最後にアオサギが消える直前の「まあ、忘れてもいいさ」というセリフ。

千と千尋で有名なセリフに「忘れないものさ、思い出せないだけで」というものがあります。私はこの時、このセリフを強く思い出しました。

千尋のあの世界での出来事は忘れてしまいましたが、絶対にあの世界に入る前の千尋ではありません。あの世界で起こった出来事を自分の力で切り抜け、人間としてどこか成長した千尋として帰って行きます。

「たとえ忘れてしまったように思えても、自分が体験したことは自分のかけらとして自分の中にずっとある」というのは、宮崎駿の中でビッグテーマの一つなのかもしてません。

宮崎駿が一番伝えたかったこと

この映画は宮崎駿の自己満作品だ!と言う意見を目にしましたが、これには猛反対したいです。

どう考えても私みたいな人のために描いてる!と感じました。(「私みたいな人」は世の中大勢いるでしょう。)

まずそもそも、人生生き抜いてきた側のお爺さんが、自己満でこんな若者特有のテーマにするわけがないでしょう!!

宮崎駿がジブリ作品を通して伝えたい一貫したテーマとして、「この世界は生きるに値する」があるそうです。

今作でも、宮崎駿が主題歌を担当した米津玄師に対し、「子供たちにこの世界は生きるに値するということを、映画を通して伝え続けていきたい」と語ったとか。しかも感極まって半泣きで(´;ω;`)

眞人がこの世を選んだように、この世に悪意があっても、いいことばかりでなくとも、この世には生きる価値があると言うんです。

それを、長い間生きてきた人間の大先輩とも言え、さらには決して楽観的に生きてきた訳ではなく、辛い経験もいっぱいしてきたであろう宮崎駿(全てにわかによる憶測ですが)が、人生の結論として言うから良い。

宮崎駿に言われるから、ああ、ほんとなんだ、と思える。

これが若かったり半端な歳の監督だったらここまで刺さってないだろうなあと思います。

宮崎駿に「この世界は生きるに値する」と言われるのは、なかなかインパクトが大きいです。

哲学要素について

君たちはどう生きるかを干渉して「難しい」「意味がわからなかった」などと言う人がいますが、個人的にはそんな深く考えなくていいのでは?と思ました。

確かに脈絡いちいち意味深なカットを入れてくるのですが、、そんな曲げて受け取らず、そのままの言葉で受け取ればいいんです。前後関係などは特にないと思うので、個々の要素を受け取るイメージで。

つまり、フィーリングで見ろ!と言うことです。

おそらく見た人が「意味がわからない」と言っているのは、この映画が全体的に哲学の寄せ集めだからです。

「美しいものに触れたら壊れる」とか、「我を学ものは死す」とか、「この世界はギリギリのところで保たれていて、本来いつ崩壊するかわからないものである」とか

私はこれまでに一度は考えたことがあったり、哲学者の言葉で似たようなことを目にしたことがあるようなものが多かったので共感しながら楽しめました。

哲学好きには絶対ハマる映画だと思います。

哲学とか考えないよーって人は、馴染みのない思想で見終わった後に難しかった!となるくらいなら、柔軟に捉えてふむふむそういう考えもあるなあくらいで済ませておくと楽しめるのになあ、と思いました。

「君たちはどう生きるか」と言うタイトルについては、作中に様々な価値観を持ったキャラクターたちを登場させて、最後にこの言葉通りそのまま問いかけられる感じで、正直この映画を見たからといって自分で答えが出せたり、映画がこのテーマを考えるヒントになってくれるわけではありません。このテーマは、私の中では置き去りでした。

ですが、眞人が友達を作ると言ったように、父が家族を一番に大切にしているように、ヒミが眞人を生むことを幸せとするように、どう生きるか、は何を幸せとして生きるか、と言う意味に取れました。それが見つけられない人は、一度自分で探してみろ、と言うことでしょうか。

まとめ

この作品間違いなく、これからを生きる人へのエールです。

そもそも「君たちはどう生きるか」というタイトル自体、生きることが前提なんですよね。宮崎駿様がそういうなら、生きてやろうと、生きるモチベーションになります。私にとってはすごく背中を押してくれるような暖かさがありました。前向きな気持ちになれました。

漠然と生きていたくないと思ったり、この世に、そして自分自身に生きている価値があるのかないのか考えたことがある人には必ず刺ささるでしょう。

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